東京電力福島第1原発事故後に始まった台湾の脱原発政策が揺れている。蔡英文政権は2025年までの原発ゼロを目指すが、電力供給への不安などから原発容認の声が拡大。25年までの実現を定めた法律の条文は住民投票の末、削除された。凍結された原発建設の再開を巡っても社会を二分する論争が続いている。

 台北市の約40キロ東。海岸沿いに立つ台湾電力第4原発(新北市貢寮区)は、敷地の門が固く閉ざされていた。近づくと詰め所から警察官が駆け寄ってきた。「入場は許可できない。事前予約も受け付けていない」

 公営の台湾電力は第1~3原発の計6基を保有。1999年に第4原発を着工したが、福島第1原発事故後、台湾では大規模な反原発運動が起きた。世論が原発廃止へ傾く中、14年には当時の国民党政権が、約9割まで工事の進んだ第4原発建設計画を凍結した。

 16年の台湾総統選で、脱原発を掲げた民主進歩党(民進党)の蔡氏が当選し、民進党に政権交代。17年1月には、25年までの全原発停止を定めた改正電気事業法が成立した。

ところが、17年8月に火力発電所の作業員のミスにより、台湾全土で全世帯の半数に影響が及ぶ大規模停電が発生。電力の安定供給に市民の不安が高まった。脱原発で火力発電の比重が高まり、大気汚染が進むとの見方も広まった。

 18年11月の住民投票では、蔡政権が法律に盛り込んだ「25年までに全原発を停止する」との条文の削除が賛成多数となり、脱原発の法的期限が撤廃された。

 ただ、この結果を受け、蔡政権が脱原発の旗を降ろしたわけではない。第1原発は運転期限の40年を超えて廃止措置に入っており、稼働中の第2、3原発も25年までに順次運転期限を迎える。このまま第4原発の建設を再開しなければ、25年には事実上、脱原発が実現することになる。

 これに対し、原発推進団体は第4原発の建設再開の是非を問う住民投票を提起。来年8月の実施が決まった。投票の行方について、環境保護団体「緑色公民行動連盟」の崔〓欣事務局長は「現状では五分五分。台湾では福島の事故の記憶が薄れ、遠く感じる人が増えた」と話す。13年に台北であった脱原発デモには22万人が集まったが、昨年は1万人の参加にとどまったという。

 ただ、18年の住民投票では、福島などの日本産食品に対する輸入規制は「継続賛成」が多数となり、原発への拒否感が残っていることをうかがわせた。台湾の総発電量に占める原発の割合は約1割と低く、崔さんは「再生可能エネルギーを活用すれば安定した電力供給はできる」と訴える。

 仮に第4原発の建設再開が決まっても、実際に稼働するには追加安全対策が欠かせず、地域住民の声も無視できない。新北市に住むタクシー運転手の40代男性は「建設工事が止まって地元経済は落ち込んだけど、やっぱり原発は危険だと思う。自分の故郷にはいらない」と話した。 (台湾北部で川原田健雄)